中村シェフの『美味しい噺』

昆布で美味い [美味しい噺]

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 落語の中に「甘きもの食べさす人に油断すな」という台詞がある。丁稚が御寮人さんの差し出す菓子に釣られて、ついつい旦那さんの秘密をしゃべってしまい、自戒の念で、ふとつぶやく言葉だ。この「悋気(りんき)の独楽」と言うネタには、幼い丁稚の素直な心を面白く表現されたところが随所に見られ、趣の深い笑いを誘ってくれる。子供の頃は塩味の強いものより甘みのあるものが美味しく、それは非常に魅力的。正に甘きものは美味きものであり、その語源となっていることは頷ける。砂糖がまだ薬屋で売られていた江戸時代から一転、文明開化の頃より砂糖は一気に世に出回ることになるのだが、この噺はそういった世相を上手に反映したものと言えよう。

 時代の変遷は味の変遷でもある。辛いものが流行ったかと思えば、こってりとしたものが流行ることもある。ただ、こういう刺激的な味は短絡的かつ一時的な変化であることに対して、明治時代の砂糖が安く手に入るようになったという時代は、日本人が甘さというものに溺れ始めた「元年」と言い換えることも可能だろう。このころに生み出された料理として不動の地位を築いたのはすき焼きであり、その一回に使用する砂糖の量は半端ではない。これを機にわたしたちは「砂糖で甘い=美味い」に没頭しはじめる。そして1970年代、高度経済成長を象徴する万能旨味調味料、通称「化学調味料」の登場で、味そのものが「砂糖甘くて美味い」から「鋭利なグルタミン酸味で美味い」に舵を切り始めた。その結果、「何となく味がたりないなぁ」となった場合に助け舟のように頼るようになる。

 


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 ご存知のように昆布のうまみは自然なグルタミン酸。化学的に作られたものではないので、味が柔らかい。既述の「鋭利」さとは大きく異なり、旨味素材としての働きは、主素材の裏側に回る味、つまり後押しする役目だ。ほんのりと甘く、舌全体で感じなければならない淡い酸味、そしてかすかな濃度をもつ昆布の旨味は決して目立たないのだが、無くてはならない味である。カツオの旨味であるイノシン酸と重なるとその力は力強く感じるようになり、塩分を強く要求する関東以北の人たちにとってはこれが旨味となる。エスカレートすると昆布の力を必要とせず、かつお節と塩だけで調理しているところも少なくないが、これは塩味に頼る調理を基本とする地域、つまり煮ものや焼き物がメインの狩猟民族的な味をベースとしている。つまり前に出る味である。これに対し昆布出しは野菜をさっと煮上げたり、淡い吸い物のベースを作る。よって後押しなのである。このそこはかとなく香り、力強くかつ細やかな昆布の旨味はどことなく塩分を感じさせるところがあって、薄味と言われる懐石料理を限りなく美味しく感じさせている裏技が昆布の旨味と言ってよい。この旨味を生かすも殺すもこれに相乗りする塩分の量にかかり、これがプロの塩梅なのだ。 


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 只今から実験をしてみたい。これをご覧になっている方々も一緒に想像実験してほしい。

ここに、2枚の皿がある。1枚には何もない。もう1枚には極めて薄い鯛(鮮度は抜群)が敷き詰めてある。まぁ、カルパッチョのようなものだ。双方に軽くミネラル豊富で美味しいお塩を降るとしよう。それを上からペロリと舐めてほしい。「そんなもん、味が違うのあたりまえやがな!」とおっしゃるだろうが、もっと細やかに考えてみてほしい。片方は塩、それもミネラル塩でそれだけでも旨い。だから塩で旨い。ところが、片方は鯛がもっているアミノ酸と塩分、それに水分が重なりほんわり美味しい。つまり旨味で美味い。

「塩で旨いと旨味で美味い」これをしっかり利きとれるかどうかが今の日本人に与えられている命題だと断言して良い。何でもどんどんお塩を振って塩味で食べると健康に害が生まれるということはさておき、そんな乱暴な味を美味しいとは言ってほしくないのだ。そういう輩は噛まない。ごくりとのどを通す。飲み込むので舌にしか味は触れない。それで何が美味いと言えようか。私たちには歯があり、噛むことで人としての営みを続けてゆく動物だ。その行為そのものが生まれてこのかたずっと生きてこられた証であり、「しみじみ美味しい」ものを食べられるご褒美でもある。だから昆布の旨味が生きるとよく理解してもらいたい。

 

 ちなみに先ほどの丁稚さんは陰で旦那さんからも美味しいものをもらっていたから秘密を隠し通せていたのだが、美味しいもので閉じられた口を美味しいもので開かせるのだから面白い。今度は細やかな昆布の旨味で笑顔の口を開かせたいものである。 

中村 新 

 

 

 


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